みほしブログ

趣味は生活と読書。

国語の教科書に対する違和感の正体

最近Twitterで回ってきたコラムで、とっても面白かったものがある。

 筑摩書房の教科書サイト「ちくまの教科書」で野中潤さんという国語教師の方が連載されている国語の教科書についての考察です。

 リンクはこちら↓

ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 定番教材の誕生第1回(1/5)

 

高等学校の教科書の定番教材、『舞姫』『こころ』『羅生門』から、小学校の教科書に載ってる『ごんぎつね 』『スーホの白い馬』『ずーっと ずっと だいすきだよ 』まで、結局は「生き残りの罪障感」という同じ物語のヴァリエーションに過ぎず、相対的に豊かな社会で暮らしている日本=他者の犠牲によって豊かさを享受している日本は敗戦後と同じくぼんやりとしたうしろめたさを引きずっている、という刺激的な論考が5回にわたって連載されているので文学好きにはぜひ読んでいただきたい!

 

でもね、私が一番衝撃を受けたのはそこじゃなくて。

 

私自身は忘れっぽいので国語の教科書に載ってたお話で記憶に残っているのは『赤い実はじけた』くらいなのですが(あれを教室で音読させられるのが恥辱このうえなかった)、小学生の子どもがいて毎日教科書の音読を聞かされている身としては、正直国語の教科書に載っている物語に「ん?」って思うことがときどきありまして。

 

このコラムで引用されている『国語教科書の思想 』という本で石原千秋さんという日本近代文学者が断言していることを聞いて「ん?」って脳みそがつっかかっていた正体がわかったのです!!!

 

それは「国語は道徳」ということ。

 

「国語の教科書を通してあたかも道徳ではないかのように装いながら道徳の教育を行うところに日本の国語教育の病根がある」

 

そっかーーーー!!!

だってね、国語=日本語を学ぶにしちゃああまりにも物語のヴァリエーションが固定されてて、野中潤さんもご指摘の通り、なんか暗い話が多くて、思想的に押し付けがましいものばかりなんですよ。

●ごんぎつね→恩人(恩ぎつね)を射殺してしまう。

●スーホの白い馬→スーホに会おうとして白い馬が死ぬ。

●ずーっとずっとだいすきだよ→愛犬が死ぬ。

動物殺しすぎぃ!!あとノンフィクションだけど『かわいそうなぞう 』も動物死ぬし。というか殺すし。この話が実話と知って、娘はショック受けてたっけ。

動物が死ぬ話以外だと、体が黒いだけで仲間外れにされる魚の話とか、手紙を一度ももらったことのないカエルの話とか、さみしさを抱えるものが他者によってそれを癒してもらう話も多い。

 

これ、国語の教科書の作成者が「国語の勉強<道徳の勉強」を重視していると考えればすごくしっくりくる。

 

「君たちは色んな生き物の犠牲の上に立って生きてるんだよ!だからいい子にしてね!(でも生き物を犠牲にするのは仕方ないよね!)」

「みんな仲良く!和を保てば友達が助けてくれるよ!(でも和を乱す人はのけ者にされても仕方ないよね!)」

 

生きること自体への罪悪感と和を乱すことへの忌避感を植え付けておけば、有事の徴兵の際も優秀な兵隊さんがたくさん集まりそうで安心だね!!

 

国語が道徳=イデオロギー教育だと考えると、そりゃ友達なんかひとりもいなくても楽しく暮らしている人が主人公の物語なんて、国語の教科書に載らないよなあ。

 

ところで今、安倍政権の肝いりで道徳の授業を正式な教科にしようという動きがあります。

時論公論 「道徳を教科にするのはなぜ?」 | 時論公論 | 解説委員室:NHK

 

「考え方」に評価をつけるなんでこわいなあと思っていたのですが、道徳の授業よりもっと柔らかくそして強力に「道徳」の授業が毎日のように行われているのです。

 

ちなみに、国語の授業数は小学校の総授業数の4分の1を占めます。

中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会(第4期第3回)議事録・配付資料 [資料7] 小・中学校の授業時数に関する基礎資料−文部科学省

 

別に国語の教科書に載ってる話がぜんぶ悪いって思ってないよ。新美南吉大好きだし。

でも、もうちょっと色んなタイプのお話、ハッピーな気分になれる物語を載せて色んな「思想」を見せてほしいなあと思います。

 

…こう考えると、『赤い実はじけた』は教科書文芸界のなかでは結構特殊な立ち位置の物語だったんだな。だからよく覚えていたのかな?