思い出
わたしが使い捨てのマスクを最後に買ったのは1月26日。はっきり覚えているのには理由がある。 まだダイヤモンド・プリンセス号は大黒埠頭に横付けされておらず、東京オリンピックも習近平氏の来日も行われる予定でいた時代のお話。 わたしは横浜市内に住んで…
〈男が長いことつかっていたバスタブの残り湯は、はたして、スープか。〉 山田詠美『4U』の書き出しの一節だ。初めてこの小説を読んだとき、まだルーズソックスを履いたおぼこい女子高生で、せいぜいお父さんの残り湯くらいしか目にしたことがなかった私は…
もう20年も前、私が中学に上がるくらいまで、夏休みやゴールデンウィークは父と母と5つ離れた妹と伊豆高原の別荘で数日過ごすことが習わしだった。 伊豆高原での日々は近くに住む私たち姉妹と同じ年頃の兄弟と遊んだり、大室山を散策したりすることも楽しか…
書店に平積みされている自己啓発書を手に取ると、眩暈を覚えるほどポジティブな言葉が溢れています。 「失敗なんてない、今は成功の過程にいるだけ」「なんだってやればできる、努力あるのみ」 本当にそうでしょうか? 私は大学三年生のとき弁護士を目指して…
私が料理をせざるを得ない状況になったのは中学二年生のとき。それまでほぼ母のごはんで育っていたのですが、家庭の事情により母が料理どころではなくなってしまい、中二から中三にかけての夕飯は365日中350日は外食or店屋物という感じ。 それはそれで大変だ…
娘がお腹にいた頃、私自身たいへん忙しく、その上ラッキーなことにつわりなし・体重ほぼ増加せず・妊娠中毒症のたぐい一切なしの健康体妊婦だったので「産休になってから色々準備すりゃいーだろ」っていう余裕っぷりで育児書の1冊も読んでいなかった。 それ…
子どものころ毎夏過ごした伊豆の別荘。別荘は急な坂道のふもとに建っていて、坂の上には陶芸家の一家が暮らしていた。 陶芸家のおうちには私たち姉妹と同じ年頃の兄弟がいて、私たちは別荘に着くと坂を駆け上り、ざらざらした愛嬌のある焼き物の並ぶ小さなア…