なぜプラスチックは食器の主役になれなかったのか?
昨日の朝、お気に入りのコップを割ってしまいました。
フランスはデュラレックス社のプリズムというやつです。
陽を浴びると光の影がきれいなところがロマンチック。
キッチンのカウンターに置こうと思ったらつるっといってパーン、ね。
それでね、このコップは100℃から-25℃まで対応できて倒してもちょっとやそっとじゃ割れない強化ガラスという素材でできているわけです。強化ガラス、割るとどうなると思う?
そう、パーンってこなっごなになるんです。
「強化ガラスは割れると怖いので使いません!」っていうレビューを見たことあっても強化ガラスだしそんな割れないでしょーって舐めてたけども本当に粉々になります。ふつうのガラスと割れ方が全然違います。シャンデリアのパーツみたいできれいだな…と30秒ほど現実逃避して床を眺めたのち、ベランダ用のちりとり取ってきてパーンを片付けましたよ。フローリングの上でまたたくフランス製のガラスパーツの美しさを写真に残しておけばよかった。
もう、スリッパを履いて掃除したのに足の裏を負傷したりしてね。しかも負傷していることに気づいたのも「あれ…なんかブーツの中に異物混入?」と思って靴下ぬいで右足裏指の付け根を見たらガリガリ引っ掻いたような跡とガラスのちっちゃな破片がぽろんと落ちてね。コップ破損から4時間後でしたよ。どんだけ足裏の角質が屈強なのか自分でもワンダーでした。
それでふと浮かんだのが
「なんでいまだに食器の主な素材は割れやすいガラスと陶器なんだろ…プラスチックの方が安いし割れないのに!!」
という疑問でした。
フードコートの食器や離乳食期のベビー食器くらいだよね、プラで当たり前感覚の食器って。なんでだろ?
あてずっぽうに推理すると、
●なんかプラだと安っぽくて料理もまずそうにみえる
●プラだと油汚れが落ちにくい!(弁当箱参照)
●プラだと食品の色がつきやすい!(ベビー食器にミートソースを載せた際参照)
●今までの伝統でなんとなく(親も有田焼のお茶碗だったし)
このあたりが理由なのかなぁ?と思っておりました。
それで「プラスチック 食器」などでgoogle先生にお尋ねしたところ、
○プラスチックだと有害物質が溶け出すから
○軽い食器だと食事に集中できないから
○木や陶器を使って食事をしてきたから本能的に忌避する(!)
などの意見が見当たり、
「え???プラ食器って安全性が疑問視されてるの!?」
と新たな視点をご教示賜ったわけで。
食器メーカーがメラミンは安全です!と喧伝していたり、京都府がわざわざホームページでプラ食器の安全性に言及していたり。
プラ食器=危険があるかも?っていうのは割とふつうの認識みたいで、そんな認識かけらもなかった私はへぇ~と感心しました。
それでもう少し調べてみると、内閣府の食品安全委員会の「メラミン等による健康影響について」という報告書を見つけました(PDFです)。
食品安全委員会「メラミン等による健康影響について」
http://www.fsc.go.jp/emerg/melamine1009.pdf
化学の知識ゼロですが、まとめると
●メラミンは多量に摂取すると結石や体重減少を引き起こす。
●けれど食器からの溶出量は健康被害が出る量の十万分の一とかそのくらいのレベルだから健康被害は出ないよ!
というのが食品安全委員会の見解のようです。
まあでも、食いしん坊の私からすると「やっぱりプラの食器より、陶器やガラス、木の器の方がおいしそうにみえるからいいー!」と思いますし、結局プラの食器が「割れないこと、コスト第一」の現場でしか普及していない最大の理由は安全性より感情の面が理由なのではないかと思いました。
だから、ガラス・陶器なみの重量感や質感を感じさせるプラ食器が開発されたら、シルクを模したレーヨンのブラウスを後ろめたさもなく着る感覚で、プラ食器が一気に一般家庭やレストランで広がるのかもしれません。
そしたら、私も足の裏を怪我しなかったのです。