18歳選挙スタート!17歳で投票できる人も!?
公職選挙法が改正され、今まで満20歳以上の人に認められていた選挙権が、満18歳以上の人へと引き下げられました。
選挙権要件の拡大が行われるのは日本国憲法制定後初めて。
改正公職選挙法は2016年6月19日に施行されました。つまり、今週末の7月10日に行われる参議院選挙が満18歳がはじめて投票できる歴史的な選挙となるのです。
ところで、「満18歳」って正確にはいつからなるか知っていますか?
実は法律によって「満」の数え方は異なるのですが、今回は選挙権を得られる満18歳とはいつからか、ということに焦点をしぼります。
★★★
まず、公職選挙法にはこう規定されています。
公職選挙法第9条1項
日本国民で年齢満十八年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員選挙権を有する。*1
あと、公職選挙法の被選挙権の条文の最後に年齢をこう算定すると書かれています。
公職選挙法10条2項
前項各号の年齢は、選挙の期日により算定する。
そして、年齢計算に関する法律(明治35年施行!)にはすごくシンプルにこう書かれています。
年齢計算に関する法律
・年齢は出生の日よりこれを起算する。*2
???
具体的にはいつからなんじゃ!!
この点について判断した裁判例があります*3。
この裁判例は以下のようにに考えています。
- 公職選挙法10条2項類推適用により、選挙権を得る年齢も「期日」により算定すべき
- そうすると「満20歳以上」(当時)とは、満20歳に達する日をもって選挙権取得ができるよう定めたものである
- とすると、誕生日前日の午後12時(=誕生日の午前0時)には満20歳に達する
- よって誕生日前日=満20歳に達する日といえる
つまり、この裁判例の考え方と改正公職選挙法によると、選挙日の次の日が18歳の誕生日の人は実質17歳で投票することはできるのです!!
実はこれ、法律上の年齢の数え方としては相当イレギュラーな考え方で、一般的な常識とも乖離してますよね。実際に衆議院でも改正した方がいいんじゃない?と質問主意書を提出された議員さんもいます*4
でも、実際に上記の考え方に沿って国政選挙も地方選挙も行われています。
ですので今回の選挙で言うと7月10日に行われる参議院選挙の次の日、7月11日に18歳のお誕生日を迎える方は実質17歳で投票ができるのです!!
間違いなく日本最年少投票者になれるチャンス。
ぜひ選挙に行って自慢しよう!
7月11日生まれでなくてもせっかく得られた投票のチャンス、10代の皆さんはぜひ投票いこう!
これからいちばん長く生きるのは君たちなんだから。
自分の国がちょっとでもよくなったらよくなくない?
もっと詳しく知りたい人は脚注のリンクも読んでみてね。そんなもの好きな人、なかなかいないと思いますが。
それではごきげんよう!
いい人生のための価値判断と行動指針
私もまだまだいい人生を探している最中だけど、人生どん底から這い上がれる自信もついて、やりたいこともはっきりして自分としてはいい人生を送っていると思う。よかったよかった。
— 三星 円 (@mihoshi_m) July 1, 2016
確かに今現在わりといい人生を送っていると思うけど、今までの人生を振り返って「いい人生の探し方」をたくさん考えたんだから、ここらでちゃんと自分なりのいい人生を送るための超個人的な価値判断と行動指針を言語化しておこう!の巻。
- おいしいごはんを食べる
いきなりずっこけられるかもしれないけど、自分のなかでは超重要。
高級なレストランの芸術的な一皿もいいけどワンコインの絶品どんぶりに出会えた方がテンション上がるかも。
まずいものを食べるとテンション下がるけど、いちばんストレスたまるのは、おしゃれなカフェの味のしない飯、夜景のきれいなバーのまずい酒。
値段に見合ってない外食はしないように気をつける。あと食べ物に無頓着、もしくは雰囲気重視の友達とごはん行くときはお店を決めるイニシアティヴを自分が握ること。料理の腕も上げる。旅行へ行くときは旅先のごはんやさんを入念にチェック。 - 言いたいことを言う
言いたいことを我慢するストレス>言って争いや気まずくなるストレス、ということに気がついたので、言いたいことは言う。
でもごり押しして主張を通せばいいとは思わない。必ず相手を尊重して率直に、汚い言葉は使わない。やりこめない。大きな主語は使わない。 - 本を買う、読む
結局自分は本、本という存在自体が大好きなんだなーと改めて気づいたので、もう欲しい本は買う、読みたい本は読む。置くスペースなどはあとからどうにかする。特に外国文学の本はすぐ絶版になってしまうので高くても思い切って買う。そのほうが後悔が少ない。 - 子どもの意思より自分の意思を優先する
これは正直、ほんとーに難しい。日本の母親に対する「自分のことを犠牲にしてでも子どもを優先すべき」という思想の呪縛は私にもどっしり絡みついている。
私の母親も「あなたのためにどれだけ自分を犠牲にしたか」と事あるごとに言っていたし(今も言う)事実なんだろうけど、そう言われましても今さらこちらができることはほとんどない。
それでなくても時間や行動は子育てに束縛されるので、大事な意思決定は絶対自分の意思で行う。子どものせいにしない。ママのせいだって責められた方がいい。 - 好きな人としか付き合わない
「嫌いな人とも付き合わないと了見が狭くなる」という言説もあるようですが、人生は修行じゃなく楽しいものにしたいので、私は好きな人としか付き合いません。
この行動指針は高校生くらいからずっと自分の人付き合いの基本かも。だから好きな人も嫌いな人も飲み込んだどっしりした仲良しグループみたいなものには属してこなかった。
もちろん仕事などで嫌いな人とも関わらなきゃいけないこともあるけど、深く付き合わないように気を付けている。
あと、嫌いな人≠理解できない人ではありません。理解できなくても好きな人は結構います。共感できる人より面白い人が好き。
これ、考え始めると色々出てくるなあ。とりあえず5個挙げたのでいったんやめますが、また思いついたことを更新していってどんどん行動指針が明確になっていったら、迷う時間がより減って人生楽しくなりそう。
ということで、ちきりんさんのインタビューから触発されてブログの記事を書いてみよう!シリーズは今回の第三弾でおしまいにします。
★第一弾★
★第二弾★
おまけ:「自分のことを犠牲にしてでも子どもを優先すべき」という思想がしんどいママたちへ
それではごきげんよう!!
過去の事実は変えられないけど、より深く理解することはできる
あんまり過去のことは振り返らなかった。
アルバムの写真もそんなに眺めたことはない。
でも今回ちきりんさんにインタビューされるにあたって、自分の人生の略歴を書いてみた。
「昔の写真を何枚か用意してください」とお願いされたのでアルバムもめくった。といってもほとんどアルバムにすら入っていない束の写真で、ひっついているのをめりめりと剥がしながら見ていった。
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ちきりんさんが私のインタビューから考えたことで、こう書かれています。
「過去の正当化」と「失敗からの学び」は、全く違うものです。
変えられるべきは(変えられるのは)過去ではなく、未来。
過去を正当化せず、失敗をそのまま受け止めることができてこそ、私達は過去の失敗から、未来につながる学びを得ることができるのです。
過去は変えられないけれど、未来は変えられる。
この瞬間から自分の人生をより「いい人生」にしたいのなら未来を変えることに注力した方がいい。
そのために私も、辛かったけど司法試験の勉強をもっと早くやめるべきだった、と「失敗」だったと認めることにした。
ところで、今回のインタビューを受けて、「過去の事実」は確かに変えられないけど、失敗に限らずそのとき起こったことをとらえ直すことによって「過去の意味」をより深く理解することはできるんだ!と感じるに至ったのです。
人は自分の過去を完璧に覚えているわけじゃないけど、「この事実はこういうことだった」と自分なりに意味づけて処理していくものだと思う。
たとえば、私の離婚直後、たくさんの友達が手を差し伸べてくれたという「事実」。
私自身は「なんかいい友達に恵まれてるなー」くらいにしか「意味」づけしていなかったのですが、インタビューのなかでちきりんさんは「それって三星さんが弱みを見せることができたから、助けて、って周りに言うことができたから、たくさんの人が助けようとしてくれたんじゃない?」と問いかけてくれたのです。
その問いかけによって、そのときの周りの友人の気持ちを多角的にとらえることができ、「そうか、これは私の長所であり、今後困ったときはまた見栄を張らずに助けを求めればいいのか!」と未来への学びへつながったのです。
友人たちが手を差し伸べてくれた事実は変わりませんが、私のなかで意味がぱあっと広がった瞬間でした。
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一流のスポーツ選手のインタビュー記事は心動かされるものが多いです。
そりゃ一流の環境のなかで戦っている人たちなので私のような一般人に見えない景色が見えているのだろうなーと漠然と思っていたのですが、今回インタビューを受けて、すこし見方が変わりました。
一流選手の言葉が面白い理由のひとつは、インタビュイーとして何度も過去の栄光や失敗を問われることにより、何度も多角的に過去をとらえ直して意味づけを考えているからこそ、一般人が試合を見ているだけでは得られない深い点まで理解が及ぶからなのではないか、と気がついたのです。
インタビュアーがいて、インタビュイーになる経験って、過去をさらに理解する手段としてすごく有用だと身をもって知りました。
スポーツ選手やアーティストでもない限り、人生をどっぷり訊かれるインタビューを受ける機会はなかなかないと思いますが、気心の知れた友人や家族、恋人と「インタビューごっこ」をしても色んな気づきを得られそう。
そういえば、このあいだ一流プレイヤーと名インタビュアーの対談集を読んだのですが面白かったですよ!!
(↑頼まれてもいないのに宣伝)
ウメハラさんは考え抜くタイプとお見受けするから、インタビューを受けなくてもここに書いてあることはすでに考えていたかもしれないけれど、特に学校教育についての考えのくだりは、ちきりんさんからの問いでひっぱり出されて明晰になっていったように読めました。
ということで、ちきりんさんからのインタビューで「気づいたこと第二弾」についてでした!
「気づいたこと第一弾」はこちら。
ちきりんさんの連載はこちら。
それではごきげんよう!
ちきりんさんからインタビュー、発信することの大切さ
Chikirinの日記でおなじみの社会派ブロガーちきりんさんからキャリアについてのインタビューを受けました。
インタビューのきっかけとなったのは私が書いたこちらのエントリ。
もともとちきりんさんのブログや著書のファンで、よくチェックしていました。そんなとき、ちきりんさんのツイート&ブログで自分の好きなものを3位まで選んで答え、全体の回答と近い人がちきりんさんとのお茶会に参加できる、という企画が開催されました。
本名も顔も公表していない「覆面ブロガー」のちきりんさん。
こんな機会でもないとなかなか会えないぞ!と意気込み、完全に当てにいくつもりで投票したところ、見事お茶会に当選。参加しました。
そこでちきりんさんに「あなたの経験を読みたい人がいる」とアドバイスを受けて書いたのが冒頭のブログのエントリなんです。
それから1年以上経ち、ちきりんさんがプロゲーマー梅原大吾さんとの対談本『悩みどころと逃げどころ』を出版されます。
全く異なるキャリアのふたりが100時間もかけて語りつくした、それぞれの人がそれぞれの「いい人生」と巡り合うためのヒントがぎゅっと詰まった対談集です。
「この本の内容と三星さんの経験がぴったりだから」ということで私にインタビューの白羽の矢が立ちました。
そして、「Chikirinの日記」にて「いい人生の探し方」というタイトルで、インタビューとちきりんさんがそこから考えたことについて、6回に渡るボリュームで連載されるに至ったのです。
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憧れの著者と触れ合えるイベントに当選して、
その著者にインタビューしてもらって、ブログのエントリまで書いてもらってる。
「運いいなぁ、こいつ」
と思いませんでしたか?
確かに私自身も、運がいいな、とは思います。
でも、私がちきりんさんの人気ツイート&ブログを投票したから、お茶会に当選したのです。
私がちきりんさんのアドバイス通り、自分のある意味黒歴史を赤裸々にさらしてブログを書いたから、声をかけてもらえたのです。
私は普段、家と会社と娘の習い事の間を行き来するだけの生活です。会話をする人もごく少数に限られています。
それでも、今はインターネットがあります。
SNSやブログがあります。
家にいながら、外に向かって発信することができるのです。
自分の好きな人や憧れの人について、マナーを守って様々な形で発信していると、かなりの高確率でその相手と関わりを持つことができます。
マナーといっても難しく考える必要はありません。「本人が目の前にいたらどういう伝え方をするか」ということを考えればいいだけです。
私もツイッターを使い始めたころは、失礼なことは呟かないように気をつけていましたが、特に何も考えずぼんやりとつぶやいていました。
でも、物を書くことも仕事にしたい、と心に決めこのブログを立ち上げたとき、自分の世界を広げるために発信しよう、と行動規範を立てたのです。
すると、いろんなことが繋がり、ちきりんさんのインタビュー以外にもたくさんの「運がいいなあ」と思われることが起き、現在進行形で世界が広がっていっています。
そんな時代、まだ始まったばかりなんです。
利用しなきゃもったいなくない?
嫌いな人を叩くために発信している人をみると、他人事ながらもったいなさすぎて歯ぎしりしそうになります。嫌いな人だけでなく好きな人からも回りまわって敬遠されるのに!
ということで、なぜ無名ブロガーがちきりんさんにインタビューされたのか?という経緯についてと、発信すると世界が広がるよ!というお話でした!
ちきりんさんの連載はこちらから。
第四話から最終話は、ちきりんさんが私の話から考えたことについて書かれているのですが、読むたびに励まされ、気づきがあります。
様々なことに配慮して多くの方の心に届くであろうエントリを書いてくださったちきりんさんに心から感謝しています。
みんなも世界を広げようぜ!それではごきげんよう!
語り騙られる控えめな「戦争」小説—『冥途あり』長野まゆみ
少年ふたりと犬一匹が夜の学校に忍び込み幻想的な体験をする『少年アリス 』で1988年に文藝賞を受賞し、デビューして27年。本人いわく〈地図でいうと別枠になっている島嶼部のような〉*1ところで執筆活動を続け、長らく文学賞と無縁だった長野まゆみが『冥途あり』で2015年の泉鏡花文学賞と野間文芸賞をW受賞した。
本作には『冥途あり』と『まるせい湯』という著者の一族の来歴をもとにした2篇が収められている。表題作の『冥途あり』は語り手の父親の人生が、三河島、日暮里、根岸といった東京の東、〈川の氾濫や大火のたびに平らになっては再建され、また流されては焼かれるという地区〉である山手線と隅田川に挟まれた土地の歴史と重なり合って回顧される。訊ねれば東京生まれの東京育ちと答える父。定住せず、暮らしにあわせて家を見つけ東京を転々とするが、東京暮らしにはいくらかの断絶があった。
父が亡くなる。兄が喪主として父の生涯をまとめあいさつする。昭和5年に三河島で生まれ、15歳のとき祖父の故郷である広島に疎開していたものの、動員先が休養日であったため原爆の難を逃れる。以来広島のことを語りたがらず、よく生きた、と。葬儀では双子の従弟やふたりの叔母が親戚に付随したエピソードを語る。あるいは、騙る。祖父の通夜にあらわれた謎の婦人の正体。バターのように墨が溶けるカエルに似た硯の出どころ。父の相続手続きで明らかになる戸籍ロンダリングの理由。ホラ話なのか真実なのかはわからない。それを知っているはずの人間たちは、もう死んでいる。
〈時間も錯綜している。記憶の癒着が起こり、数十年も隔てたできごとが連続して起こったように語られる〉
〈わたし〉は晩年の父が云うことをそう表現する。この小説はその父の語りのように紡がれている。父の話かと思ったら母の戦争の苦労の話に振れ、父の葬儀の描写のなかに父が生きているかのような話が差し込まれる。時間の軸をつかんで読もうとしても、するすると手からすり抜けていく。この小説の軸は〈わたし〉の記憶なのだから。
広島を灼いたもう一つの太陽は、窓ガラスを粉々にし、家のなかにいた父の背中に無数のガラス片をめり込ませた。いつしかガラス片は父の皮膚と一体化する。ガラスは数千万年単位の時間ではほとんど分子構造が変化しないといわれる。父の肉体が焼かれ灰となっても、埋め込まれたガラスの粒は地上のどこかで存在している。人間はそんなに長く存在できない。だからこそ語るのだ。
別枠になっている島嶼部の代表と言えば日本地図における沖縄諸島だろう。沖縄も広島も戦争の記憶がその地に色濃く残っている。戦争の被害者は戦死した人たちだけではない。そして、戦争を知るのは戦争を体験した人たちだけではない。『冥途あり』は戦後に生まれた〈わたし〉が見聞きした記憶を通して描かれた、控えめな戦争小説なのである。
*1:長野まゆみのブログ
野間文芸賞、受賞のお知らせ : Kotorico コトリコより