みほしブログ

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完全な反復は存在しない―『夜、僕らは輪になって歩く』ダニエル・アラルコン著、藤井光訳

夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)

「演じる」という行為は舞台の上に立つ俳優だけが行うものではない。ひとたび人と関わりを持てばそこに何らかの演技が入り込む。母と息子、兄と弟、師匠と弟子、それに恋人同士。それらの役柄にふさわしい行為を繰り返すことにより人間の関係性は保たれるといってもいい。

 

1977年ペルーの首都リマに生まれ3歳で渡米し、現在はサンフランシスコに暮らすダニエル・アラルコンの『夜、僕らは輪になって歩く』は、リマとおぼしき南米の首都と、アンデス山脈にある海抜2900メートルの町「T」でのできごとが行き来して語られる。首都に住み芸術学校で演劇を学んだ主人公ネルソンは、伝説的な劇団の公演旅行のオーディションに合格する。公演旅行の演目こそ、15年前の内戦中に初披露され劇作家が投獄されるきっかけとなった『間抜けの大統領』だった。

劇作家であり大統領を演じるヘンリー、公演旅行の提案者であり召使役を担うパタラルガ、そして大統領の息子役を務めることになったネルソン。三人だけの劇団は夜行バスで首都を離れ、内陸部の町を渡り歩き上演を繰り返す。三人の関係性に役柄はぺたりと張り付いてくる。ヘンリーは偉そうで、パタラルガは世話を焼き、ネルソンはヘンリーを尊敬していた。ヘンリーは劇の世界に入り込むため家へ電話することを禁じた。しかしその掟を忠実に守っていたのはネルソンだけだった。ヘンリーは娘に、パタラルガは妻にこっそり電話していた。それを知ったネルソンは未練の残る元恋人へ電話をかける。すると思いもよらない事実を聞くことになる――。

自分のことを〈僕〉と呼ぶ語り手は、ネルソンの日記、母や元恋人などの証言、そのほかの記録をつなぎ合わせてネルソンの公演旅行の様子をつぶさに写し取っていく。同時にヘンリーの投獄に至る経緯と獄中内でのできごともインタビューにより露わになる。〈僕〉とネルソンの正確な関係はなかなか明らかにされない。ネルソンの身に何かが起こったことだけが示唆される。語り手の素性にも物語の先行きにも心もとなさを抱いたまま、読者は日の差さない洞窟を手探りで進むように、硬質で透明感のある文章を一文一文読んでいくしかない。

ネルソンは劇以外である人物を演じてほしいと頼まれる。面倒ごとを避けたい気持ちとわずかな親切心からこれを引き受ける。演じることによって演じた者の人生を引き寄せるように、ある人物が体験した物語の反復が始まってしまう。終盤、息もつかせぬ負の連鎖に言葉を失う。〈僕〉はもう少しこうだったら、と〈別バージョン〉を想像する。しかしもちろん、〈別バージョン〉の人生なんて存在しえない。

ひとりの青年の不条理な人生を通して、演じることや反復と一回性について考えさせられる秀作だ。

 

夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)

夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)