みほしブログ

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ハリ・クンズル『民のいない神』書評―知への欲求と妄信の近しい関係

民のいない神 (エクス・リブリス)

ハリ・クンズル『民のいない神』はアメリカ南西部のモハヴェ砂漠が舞台となっている。モハヴェ砂漠はモルモン教の本部があるユタ州、インディアンが未だ多く住むアリゾナ州、張りぼてのようなカジノタウン・ラスベガスがあるネバダ州、そしてロサンゼルスを有するカリフォルニア州と、四つの州に跨る広大な砂漠である。街と道から逸れると、砂と岩と強烈な直射日光、それにボンボンを持った腕を何本も生やしたようなジョシュアツリーとブッシュしか見当たらないような土地だ。「砂漠には何でもある。と同時に、何もない。砂漠は神だ。しかし、そこに民はいない。」というバルザックの小説『砂漠の情熱』の一節を引用しこの小説は始まる。

舞台の中心となるのがモハヴェ砂漠のただなかにある「宇宙を指す三本の指のように立っている」三つの石の塔、ピナクル・ロックだ。2008年現在のインド移民2世で投資会社に勤めるリッチなニューヨーカーの「アメリカ」人ジャズと、その妻のユダヤ系アメリカ人リサ、ふたりの息子で自閉症のラージを基点として、今と過去のあいだをスウィングしつつピナクル・ロックに引き寄せられる人物たちが描かれていく。

描かれる過去の時間軸は長い。18世紀植民地時代のスペイン人宣教師のガルシス神父についての報告と日記、19世紀のモルモン教暗殺団のネフィ・パーの霊的な体験、20世紀初頭の先住民の研究をする文化人類学者デイトンのフィールドワークと嫉妬が引き起こす事件、20世紀半ばピナクル・ロックを「天然のアンテナ」として宇宙と交信することを望む者たちが集まりカルト化していく様子が2008年の出来事の間にランダムに挟み込まれる。さらには、2008年の中心人物はジャズ一家ではあるが、イギリス人ロックミュージシャンのニッキーやイラクから疎開してきた少女ライラが視点となる章もあり、そのオルタナティブな語りに巻頭ではたじろぐかもしれない。どうか185ページまでは我慢してでも読んでほしい。そこから物語は加速度を増し、ピナクル・ロックが過去と今の出来事を線で結んでいくさまに興奮を覚えずにはいられないだろう。

小説にはウォルターと呼ばれる「興味深い」トレーディングの分析モデルが登場する。ジャズが投資会社で運用に携わるこのモデルは万物理論と評され、あらゆるデータを飲み込み、「世界全体を自分のモデルに閉じ込めようと」する。モデルの製作者であるバックマンはウォルターを直接目で見られないタイプの物の姿を見せるように仕向け、「神の顔」を発見するためのものだと言い、ウォルターは出来事の流れを予想によって変えてしまう力を持ち始める。バベルの塔を彷彿とさせるウォルターにかけるバックマンの情熱、小説ラストでジャズを衝き動かす感情、UFOカルトの始祖シュミットが空に信号を送り続ける理由、それらは皆「知りたい」という欲求からきている。知りたいという欲求をかなえるために、科学、宗教、宇宙人との交信と、様々なアプローチを取る本書の登場人物たちが唯一共通して信じているのは「知るべきことが存在する」ということだ。

「全部一緒じゃないの?同じひとつの真理に至る道がたくさんあるだけ」とリサは言い、ユダヤ人であるにもかかわらずカトリックの教会で祈りをささげる。そもそも、人知を超越する「真理」なんていうものが存在するのか?インド系の父を持ちニューヨークに暮らすイギリス人作家は、あらゆる声を使って読者にそう問いかけてくる。

 

民のいない神 (エクス・リブリス)

民のいない神 (エクス・リブリス)